ノワール深月

成績が良い≠偉い

こんばんは。

ノワール深月です。


このところお馴染みになってきた

親子関係の話題です。


お子さんの成績のことで

うるさく言ってしまった

または

ご自身が色々と言われて辛かった

という方は

けっこういらっしゃるのでは

ないでしょうか?

 

私も言われた側の一人です。

 

今日はそのお話を

させていただこうと思います。

 

ではいってみよう!

 

子供の頃って

意味不明な理由で

イジメとか仲間外れを

ゲーム感覚で始める子が

クラスに何人か必ず存在します。

 

私もわけのわからない理由で

いじめに遭ったことがあります。

 

幸いそれは

短期間で終わったとはいえ

心が折れそうでした。

 

そんな時に

母に相談したものの

 

「勉強で見返してやりなさい!

そんなことでメソメソして情けない!」

 

と言われたことが

今でも忘れられません

 

この母の一言は

イジメそのものと同等か

それ以上に

 

私の心をすり減らしました。

 

そして

 

その言動の意味が

理解できませんでした。

今でも理解できません。

 

私の気持ちは

 

「勉強で”見返す”ってナニ?」

「100点を取っても私は嬉しくないよ?」

 

でした。

 

そんな折でも

毎回というほどではなかったけど

100点を取ることはありましたが

たいして嬉しくなかったことを

今でも覚えています。

 

それに

「成績が良い=偉い」

みたいな考え方は今でも

私にはなじめません。

 

この時の私が

母にしてほしかったことは

 

相手の子の家に怒鳴り込む

までではなくても

 

辛い気持ちに共感するなど

 

傷ついた気持ちに寄り添うこと

でした。

 

この言動は母への不信感として

私の中に積もって

居座り続けました。

 

この居座っていた不信感は

ずっと時間が経ってからの

母との口論の際に

「私が辛かった時に

守ってくれなかったじゃないの!」

という言葉になって

ナイフのように母を突き刺し

ただ泣かせただけでした。

 

母のあの言葉は私には

何の役にも立たなかった

ということです。

 

今思えば

 

勉強で”見返す”というのは

母のモノサシであって

私のモノサシではなかった。

 

”寄り添ってほしかった”というのは

私のモノサシであって

母のモノサシではなかった。

 

よくよく考えてみると

それだけのことと言えなくもない

のですが

 

やっぱり悲しかったなあ。

守ってほしかったなあ。

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