ノワール深月

子供にだって正義はある~型にはめようとする親たち~

こんばんは。ノワール深月です。

皆さんは何かを決めたりするときに

思い描くイメージとか理想

が少なからずあると思います。

 

自分の物だったら自分のイメージを

重視して進めていっても良いと思います。

 

しかし…

自分の物じゃないとしたら‥?

 

例えば自分の物を決める時に

誰かがずいっと入ってきて

自己主張なんて始めたら

どう思います?

 

それって

「アドバイスありがとうございます!」

という問題ではないのでは?

 

どういうことかと言いますと

 

入学式だったら

「ランドセルは男の子は黒

女の子は赤に決まっている」

 

成人式だったら

「振袖は赤に決まっている!」

 

結婚式だったら

「ウエディングドレスは

ふわっとした形のものに決まっている」

「引き出物は○○に決まっている」

などという感じです。

 

以前に「誰も嗤いませんけど?」

というお話でも触れている件です。

 

誰にも嗤われるはずのないことを

ただ自分の正義という「型」に

はめたいだけ。

 

人って液体じゃないんだから

ゼリー液を型に流し込むように

誰かの正義に簡単に

はまるわけがない。

 

それをはめようとするから

色々と問題が起こるんです。

 

例えば好みの問題。

好みが似ている人同士なら

そこまで問題は起こらない

と思いますが

 

好みとか考え方が全く違う間柄で

これをやると大変です。

 

これが親子間だったら

さらに大変です。

 

型にはめたい親というのは

子供を自分の所有物だと

勘違いしているし

それが正義だと思っているんですね。

 

子供を自分の型にするっと

はめてしまおうとするんです。

 

親子間でも好みや考え方が

合うとは限らない。

むしろピッタリと合う親子のほうが

少ないんじゃないかと思います。

 

かといって

好みが合わないからそこで終わり?

というわけではないんですよ。

 

お互いが

「こういう感じのほうが好きかも」

とか

「こういう感じの方が喜ぶかも」

という

相手への少しの思いやりを持って

歩み寄ることで

 

「自分の一番好きな感じ」

を選ぶよりも満足できる場合だって

もちろんありますから。

 

こういうことで悩む親子間は

たいていの場合

話し合いが成立しないんです。

どちらか、もしくはお互いが

話し合おうという気がなく

自分の正義という名の型のことで

頭がいっぱいになっているんです。

つまり完全に意地の張り合いに

なってしまっているので

何も前に進みません。

進まないどころかこのまま一緒に

坂道を転げ落ちてしまっても

不思議ではありません。

 

相手への愛情がないわけでは

なくても相手の意思への興味が

薄いんだと思います。

 

わが子を一人の人間として捉えて

「この人はどうしたいのか?」

ということに少しでも関心を向けてみると

意地の張り合いも緩和されて

それまでとは違った話を聞けるはずです。

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