橘メルロ

橘メルロの生い立ち シリーズ3部作 その1 幼少期

 

今日から3回に分けて、

札幌ほしよみ堂オーナー橘メルロの

 

生い立ちから現在に至るまで

を書いていこうと思います。

 

 

今の私からは想像できないくらい実は

精神的に不安定な時期が長く、

 

 

「人生ってなんでこんなに辛いんだ」

といつも感じていました。

 

 

ちょっと迷っているあなたに少しでも

 

希望と勇気

 

持ってもらえたら嬉しいな

という気持ちをこめて書きます。

 

 

現在は北海道のニセコ在住ですが、

元々は愛知県名古屋市で生まれました。

 

父は石油コンビナートの設計に関わる

仕事をし転勤族で、

 

母は繊細さと大胆さを兼ね備えたような

美しい人で、

 

姉は1つ年上、私は次女、4人家族でした。

 

 

愛知県、広島県、千葉県、東京都・・・

小学校低学年まで父の転勤とともに

家族一緒に動いていて、

 

精神障害のある姉と、ナイーブな母、

父は接待が多く、帰ってくるのは夜中という状況で、

 

自然と私が

一家の内面を支えるような存在になっていました。

 

 

私自身小さい頃はとにかく、

転勤により仲の良い友達と何度も別れるのが苦痛で、

 

新しい場所に馴染むまで

とても辛かったことを覚えています。

 

 

私の記憶では

父と母はいつもお金のことで喧嘩をし、

 

姉は精神的に不安定だったので低学年ごろから

 

「家族ってなんだろう?家ってなに?」

 

という想いをいつも抱えていました。

 

 

誰にも言えない家族のことがストレスとなり、

私はしてはいけないことをしてしまいます。

 

 

俗に言う「ヤンキー」友達が多かったので、

ある日スーパーで

お金を払わずに文房具を持って帰りました。

 

 

まだ子供だったので、

そんな話を放課後に教室でしていたら、

先生から呼び出しが。

 

 

私自信は全く無自覚だったのですが、

当時を知る友人によると

 

かなり存在が目立っていたようで、

実際それで高学年から呼び出しとか、

しょっちゅうでした。

 

「私は何もしてないのに・・・」と

思っていたのです。

 

今思えば、どうにもならない想いを

やってはいけないことをすることで

発散していたのだと思います。

 

いつも大変そうな母に自分の気持ちは話せないし、

姉も情緒不安定でそんなな状況では無い、

 

家のことを話せるような心を許せる友達もいない、

八方塞がりでした。

 

 

そんなときに始めたとある学習(○○式)で、

私はエネルギーを発散していきます。

 

 

数学や漢字のドリルを毎回出されるのですが、

それをこなしていくことで

どんどん自信が出てきました。

 

私の集中力が尋常じゃなかったらしく

東京本部から人が見に来たりもしたのですが、

 

確かに異常な集中力もきっと、

現実から逃避したい気持ちからだったかもしれません。

 

 

一旦自信を取り戻した私でしたが、

それも長くは続きませんでした。

 

 

中学に入り、次の試練が訪れます。

 

続きは次のブログで・・・。

 

明日へ続く

 

札幌ほしよみ堂オーナー

橘メルロでした

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