橘メルロの生い立ち シリーズ3部作 その2 思春期~20代
前の記事では、
父が転勤族で生活が不安定だったことが原因で
問題を起こし始めた幼少期の事を書きましたが、
今回は思春期~次の試練までの期間の話を書きます。
警察のご厄介になった小学生時代を経て、
何気に目立つ存在だった私は
ちょっと調子に乗っていました。
家族のコミュニケーションは薄く、
私は学校でそのストレスを発散していきます。
不良あるあるですね。
中学生になったある日、
突然クラスのほとんどの女子から
無視をされるようになりました。
端的に言うと原因は、
私が女王様気取りで威張っていたから。
男子にも男の先生にもチヤホヤされ、
高学年の不良とも繋がり、
どこか怖い物なしになっていたのでしょう。
今まで話しかけてくれた友達が
まったく近寄ってこない・・・
何ヶ月続いたのか覚えていませんが
無視されるというのはとても辛いことでした。
それなりに勉強は頑張っていたので、
地元では1番の進学校に入るべく受験勉強をし、
でも当時の私は将来のことを
相談したりする人がいませんでした。
なぜその進学校に入ることを選んだかと言うと
「母を喜ばせたかった」から。
精神疾患がある姉と、
仕事優先で家庭を顧みない父に苦労していた母を
喜ばせられるのは私しかいない
と思い込んでいたのですね。
そんな動機で高校に入ったので、
1年生の2学期あたりで
人生最初の精神疾患になります。
ノイローゼの一種で
自臭症というものになったのです。
《自臭症とは原因となる病気がないにも関わらず、自分が口臭体臭を発していると思い悩んでしまう病気です。 性格的には繊細で几帳面な人に多く現れる》
教室で座っていると気になって仕方なく、
辛くて学校に行けなくなりました。
そこから1年以上引きこもり、
家庭の中は最悪でした。
しかし、休むだけ休んだある日、
通信制高校があることを知り、
そこへ転校することに。
週に2回のスクーリングのみで、
17歳だった私は父の知り合いの喫茶店で働きながら
高校を卒業しました。
その高校で出会った母親くらいの年齢の方に
日立の出向で入るSEの会社へ
卒業とともに就職し、
そこから2社ほど正社員で勤めたあと、次の試練が訪れます。
20代前半、
当時わたしは愛知県の実家に住んでいたのですが、
ちょっとしたことで姉と口論に。
その時私は何を言ったのか覚えていないのですが、
姉は突然私に包丁を向けて
刺そうと私にまっすぐ向ってきたのです。
「あぁ、わたしこれで死ぬんだ」
と思いながら必死で外に飛び出し、
そのまま家を飛び出しました。
当時付き合っていた今の夫の家に
とりあえず泊めてもらい、
すぐに私は勤務先の近くに
古いアパートを見つけて住みはじめました。
家を飛び出してきてしまったので、
身ひとつで何も無く、
がらんっとした部屋にひとりぼっち。
あの頃を思い出すと今でも胸が少し痛いのです。
その頃から私は、
経済的自立を意識して日中は会社員、
夜は飲食店でバイトをして貯金をしっかりし、株式投資までしていました。
もう親は頼れない・・・
実家には怖くて帰れないと思ったのです。
こんな状況の私を支えてくれたのは今の夫。
出会いは偶然なものでしたが、
彼がいなければ今の私は絶対に存在していないのでとても感謝しています。
そして、結婚後私たちは
全てを捨てて北海道に移住することになります。
夢と希望に満ちて移住しましたが、
私たち夫婦に最大の危機が訪れます。
私は子供が大嫌いでした。原因はそこです。
続きはまた次の記事で
札幌ほしよみ堂オーナー
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